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『勿凝学問』とは福沢諭吉の言葉で、学問にばかり凝りかたまるようではいけない、ものごとを広い視野でとらえるように、といった意味だそうです。
「人口推計や経済予測・医療論議における医療費予測が外れたときに激しく予測者たちを非難するメディア・研究者たちの姿勢は、医療行為には『不確実性』が伴うことを理解しないままに『医療事故』を報道し今日の『医療崩壊』を引き起こす原因を作ったメディアの姿勢と同じなのである」「公的年金は、将来予測に対して(人知の限界)があるゆえに存在する」「人間が的確な予測力をもつのであれば、勤労世代から退職世代に所得を再分配する現在のような賦課方式の公的年金など必要ないであろう」(『勿凝学問竺権丈善一)そもそも将来のことは分からないのだから、不確実なものは不確実なものとして、扱いましょう、年金はそうした前提に立っているということです。
人は不確実なものを不確実なまま引き受ける際に不安を感じます。
この不安に耐えられないことが、攻撃行動の原因になっているのではないでしょうか。
不安に耐えられないということと、先に述べた覚悟の問題は同じことなのかもしれません。
他にも不確実性を受け入れられない原因があります。
一つには因果律についての知識の欠如がある。
例えば、同じ医療行為の結果は、確定せず、確率的に分散します。
しかし、原因と結果が一対一の関係にあり、結果から原因を特定できるというドグマが、メディアや、あろうことか、裁判官まで支配しています。
これは法律家の使用する言語の問題でもあります。
法律家の言語は科学の世界とはずいぶん異なります。
この言語が、法律家の思考内容や思考の範囲を限定しているように見えます。
法律の言語体系では議論しにくい世界があることを、法律家も知っておく必要があります。
もう一つの理由は調査(勉強)と調査内容を有機的に結びつける想像力が欠如していることです。
現場の人間がどのような環境に置かれているのか、どのような過程で人間の活動が営まれるのかを十分に調査しない。
医師はスーパードクターばかりではないのです。
どこまでが個人の責任なのか、通常の能力しか持たない人間はどの程度の働きで社会に有用とされるのかなどについて、想像をめぐらせなければならない。
そもそも無理なことを要求することは無責任です。
裁判官やジャーナリストは往々にして、発言や行動を責任あるものにするのに必須の想像力を持っていません。
さらに、期待は容易に予想される結果と混同されます。
三十年ほど前、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』という有名な臨床医学雑誌に掲載された、がんの免疫療法の総説論文を読んだことがあります。
総説とは、原著論文のように、自分のデータに基づいて新しいことをいうのではなく、ある分野についての多数の論文を読んで、その分野の知見と動きをまとめるものです。
この論文を記憶しているのは、最後の結論部分にあった言葉のためです。
「がん治療のこの分野では、しばしば、期待は結果と混同されてきた」と書かれていました。
私自身、がんの免疫療法についての、社会の過剰な期待と大げさな扱い方に厳しい見方をしていました。
これは今も変わりません。
当時この表現を読んで「うまいことをいうなあ」とひどく感心しました。
メディアでは、「こうなってほしい」ことを、「こうでなければならない」、さらに「こうなるに違いない」と簡単につなげてしまいます。
これはW杯サッカーでの報道を思い出すと分かっていただけるはずです。
話がそれますが、私は、外科医は「勇気あるペシミスト」でなければならないと若い医師に教えています。
基礎医学者はオプティミストとして、大きな発想で夢をみればよい。
ただし、大きな仮説はほとんど当たりません。
しかし、誰かの後追い実験で、ちまちました結果を出しても進歩につながりません。
大きな仮説が証明されると大きく科学が進歩します。
たとえ仮説が事実でなかったとしても、その科学者が大出世できないだけで、被害者はでません。
しかし、外科医は、「たぶん大丈夫だろう」では、ひどく危険です。
「たぶん」にたよるという思考は外科医には許されません。
これは日本の中世の戦闘者と同じです。
『葉隠』の山本常朝ではありませんが、あいまいなものを頼って「うかうかと日を暮らす」と、手術の安全性、成績が確実に下がる。
常に、あらゆる可能性を考えていないと、事故につながります。
私は、術後経過が悪いとき、しばしば夜眠れなくなります。
また、眠りながら考え続けて、翌朝、対策がまとまっていることがあります。
楽観的な外科医は長い年月第一線で手術を続けることはできません。
何らかの理由で、メスを捨てざるをえなくなる。
また、心配ばかりして、必要な手術を避けることも適切ではありません。
悲観的に捉えながらも、勇気を奮って、必要な手術は実施しなければなりません。
ところが、メディアには、あれこれ困難な状況を考えて苦慮する大人の悲観主義は受け入れられません。
根拠のない楽観主義がメディアを支配しています。
結果が悪いと楽観主義を反省することなく、努力を続けてきた専門家を断罪するのです。
医療の不確実性を象徴的に示しているのが、入院診療における有害事象の発生頻度です。
入院診療では、退院数を母数にして七パーセントぐらいの確率で、有害事象が発生します。
これは世界のどこでも同じようなものです。
多くは不可抗力による合併症や副作用ですが、手術では術者による技量の差があり、それが生死を分けるようなことがある。
なかには医療提供者の過誤による傷害も含まれます。
実際に、患者側が不信に思うような事態は発生している。
しかし、それをゼロにすることはできません。
医療と検察の「無謬」行われた医療行為に対して、期待どおりにならなかった、結果が不満だといって、患者や家族は病院に苦情を持ち込みます。
これに病院が対応するわけですが、かつては問題がありました。
医療に過誤はあってはならず、はなから過誤などないものとして対応する傾向があった。
つまり「無謬」が前提であったため、病院の医療過誤の究明が組織的になされることもなく、医療側に問題があってもしばしばうやむやにされてきました。
無謬が前提ですから、調査委員会のような、それを否定しかねない機関は当然用意されていなかったのです。
資質に問題があるとしか思えないような医師も、そのまま放置されてきました。
これは免許の取り消しや資格停止などの行政処分が、刑事での有罪判決を前提にしていたためです。
「隠蔽体質があり、謝らない」という患者側の非難にも、十分な理由があったと思います。
これは時代を支配する思想によるところが大きい。
例えば、戦前の刑事司法は手続きを軽視し、威嚇的な捜査方法はもちろん、拷問なども日常的に行われました。
罪を犯していたことが確かなら、犯罪立証の過程が問題にされることはなかった。
だからといって戦前の司法が悪人に支配されていたということではなく、あくまで当時の国家権力、ひいては司法を支配していた思想の問題です。
少し議論がずれます。
医師の団体に自浄作用がないという非難をしばしば受けることがあります。
有効な自浄作用がないということに関しては、私も確かにそうだなと思います。
しかし、実際に自浄作用を持つことは制度的に難しい。
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